英文契約書における「identity」の訳語

次の(1)の英文は、私が英日翻訳の依頼を受けた英文契約書の一部です。翻訳の依頼者の機密保持のために、当事者をそれぞれABCとXYZに変えてありますが、それ以外は、契約書の中の英文はそのままです。この英文を日本語に翻訳するに当たって、少し時間をかけたのが identityという言葉の日本語訳でした。

(1) If ABC is to provide XYZ with any services under this Agreement through affiliates, the identity of such affiliates shall be provided to XYZ, as applicable.

 identityは、むずかしい概念です。「アイデンティティー」とカタカナで表現されている場合もよく見かけます。手元にある辞書を読んでみます。たとえば、大修館のジーニアスには、「本人であること」「同一物であること」「自己同一性」「帰属意識」などが載っています。研究社の新英和大辞典も、上の訳語以外に「正体」「身元」などがあり、ジーニアスとそれほど違いがありません。研究社の方に、prove a person's identityの例文が載せてあって、「人の身元を明らかにする」と訳されています。この訳を参考にして、(1)の英文の後半の文を仮に、「必要に応じて、関連会社の同一性をXYZに知らせるものとする」と訳してみても、日本語になりません。

 英英辞典のいくつかを読んでみましたが、その中にヒントになりそうなものが見つかりました。Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English (OALD)です。OALDには次のようにあります。つまり、who or what sb /sth is: The police are trying to discover the identity of the killer.(ある人が誰か、またはある物が何か:警察は殺人者が誰なのか見つけだそうとしている)です。これは、参考になります。これをヒントにして(1)の訳を決めてもよかったのですが、念のために、「英和翻訳表現辞典(研究社)」の「新編」と「基本表現・文法編」を読んでみることにしました。

 「新編(342頁)」に、参考になる記述と参考になる例文がありました。例文だけをここに書き写します。I am not certain of the identity of all the people in the picture.「この写真に写っている人たちが誰なのか、全然わからない」です。「誰なのか」という訳語は、上のOALDとも符合します。

 以上のことを参考にして、(1)の英文は、「affiliates(関係会社)のidentity」であることを考えて、次のように訳すことにしました。

「ABCは、XYZに対して、関連会社を通じて本契約上のサービスを提供する場合には、必要に応じて、かかる関連会社がどの会社であるかを知らせるものとする。」

依頼を受ける契約書翻訳は、スピードが要求されます。限られた短い時間で仕上げなければなりません。辞書や書物を十分に調べることができないこともたびたびです。日頃の訓練の大切さを今回も感じました。

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